失われた自分を求めて

元公務員/元フリーター/元ニート/アラサー/思いは言葉に

『むこう岸』を読んで

ちょくちょくカラオケに行きます。Pretenderを歌えるようになりたいアラサトです。

安田夏菜『むこう岸』という児童書を読みました。

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裕福な家庭の山之内くんと、生活保護受給家庭の佐野さんが出会う話。
こういう系の本はけっこう読んだし、仕事で目の当たりにもしてきました。
その上で、いい本だと思いました。


タイトルの『むこう岸』は、川のこっち側とむこう側という意味。
家庭は裕福だが、息苦しさを感じる山之内くん。

きみとぼくのあいだには、きっと広くて深い川が流れているのだろう。その川に橋をかければいいのかもしれないが、はなから喧嘩腰の対岸に、なぜ渡っていかねばならないのか、ぼくにはその必要性がわからない。

 
生活保護受給家庭で、ハハ(母)と妹の面倒を見ている佐野さんも思う。

あんたの、ぬるい苦労とはわけが違うんだ。あたしなんて、あたしなんて・・・・・・。

 
そんな二人が、ある場所での交流を通して少しずつ変わっていく。

あたしにはわからないなにかを、あいつはあいつで抱えているのか?・・・人の不幸レベルはどうやって測るんだろう。それを測るものさしがあったとして、金持ちの世界と貧乏人の世界とで、そのものさしは変わるんだろうか。

 
保護観察官をしている時、言われたことを思い出した。
「アラサトさんにはわからないっすよ」と。そこには、「勝手に分かった気になるなよ」と「誰かに分かってほしい」と「なんで自分だけ」が混ざり合っている感じがしていた。
ぼくは「そりゃわかんないよ」と受け流すようにしていた。そして、その人が「不幸自慢」から抜け出し、川を渡るのをじっと待つしかなかった。


川を隔てるものは、なんなのだろう。
読んでいると、「哀れみ」なのかもしれないと思った。

哀れんでいるものは、自分の放つ匂いに気づかない。
哀れまれているものだけが、その匂いに気づくのだ。


妙に納得。慰めや同情は、他者のためではなく、自分のためにしているものかもしれない。しかも、自分のための哀れみは、他者の尊厳を削り取ることがある。


児童書だからか、簡潔で読みやすかったです。でも、たくさん凝縮されている感じでした。
中学生くらいで読んだら何を感じたんだろうなー。
今日は、終わり!
いいんです。だって自分のための備忘録だもん(*´∀`*)ノ