失われた自分を求めて

元公務員/元フリーター/元ニート/アラサー/思いは言葉に

私は異質な公務員だったのか~山田課長ではなく、山田さんと呼びたいだけ~

夜分遅くにアラサトです。
ふと気分が乗ったので久しぶりに思うまま書きます。

国家公務員を辞め、転職して早1年。省庁の様子を聞いていると、コロナになってもほとんど変わらない働き方、仕事の仕方。そんな環境で働く公務員の皆さんはすごいという気持ちもあります。

まあしかし、今思うと、そこで疑問を感じずに、または疑問を感じていても感じないフリをして、それまでのやり方を特に変えずにやり続ける、という環境の中で、ぼくは働けないなと思います。

なぜなら、ぼくは疑問は疑問に思いたいから。疑問を言葉にして対話し、変えていくことに価値を感じているから。
その「価値観」の持ち主は決して多くなかったし、そういう意味で自分は異質だったのかも、と先ほど落合陽一のNewsPicks動画を見ていて思いました。

このブログで何度か書きましたが、たとえば課長レベルに説明するために、いちいち秘書(的な人)に電話して予約。そして課長室の前で椅子に座って待つ大人たち。グーグルカレンダーでMTGセットしてオンラインでやれば?と思ってました。サラリーマンが、ほんのちょっと偉いサラリーマンに説明するだけなのに、神を召喚するかのごとき儀式的手続きはいるのか?

そういう日頃の手続きも含めて、今あるものを疑って変えていこうという人にはほとんど出会いませんでした。「優秀」は、与えられた問いに正しく答えられること、情報処理能力が高いことなどで、問いを立てること、多角的に議論できることなどではありませんでした。だからかな、窮屈だったし、つまんなかったです。思った通りだったけど(笑)

あと、小さいことだけど、「山田さん」じゃなくて「山田課長」と肩書きつけて呼ぶ風習。ぶっちゃけ、めちゃくちゃ気持ち悪かったです。国会議員を先生呼ばわりするのも。「○○議員」ならまだ分かりますが。アメリカのようにファーストネームで呼べとは言いません。でもね、「山田さんじゃなくて、山田課長ね」とわざわざ訂正する人とは、長くは一緒に仕事できないかもなーと思っちゃうのです。


幸い、今の職場はけっこう快適。役員ともフラットに話せるし、疑問や違和感は言葉にして発信できる。そして、「山田さん」は「山田さん」だし(笑)
もちろん、その中でもぼくは少し異質なのかもしれませんが、それは「異質性」ではなく「多様性」として受け容れられている感じがありますね。この「異質性」から「多様性」への転換が大事なのかもと、落合陽一のNewsPicks動画を見ていたらふと気づいたんでしょうね。ついつい、ブログで書いちゃいました(笑)

いつか省庁や行政がもつ、この「山田課長」文化を変えるお手伝いができればいいなとは思います。
じゃあ寝ます。おやすみなサンクトペテルブルク。