失われた自分を求めて

元公務員/元フリーター/元ニート/アラサー/思いは言葉に

ある家の正月

お隣さんから、こんぶどんこ出汁、大根、玄米もちを分けてもらい、お雑煮をつくりました。お雑煮にはゆず皮のせる派のアラサトです。

みなさんの家では、お雑煮は誰がつくっていますか。
ご自身ですか。父親ですか、母親ですか。夫ですか、妻ですか。息子ですか、娘ですか。他の誰かですか。

本日は、ある家の正月を題材に、家族とジェンダーを考えたいと思います。

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「やっぱり女性だから、さすが、○○さんは揚げ物上手だねえ」

その家では、毎年、父方の実家で親戚が集うことになっています。女は早めに実家に赴き、十数人いる親戚一同の食事の準備にとりかかります。男が駅伝を見ている間に、おせち、揚げ物、サラダが出来上がります。そこで、どこぞの男が大きな声で放った一言。

女性=料理する人&料理が上手。悪気はないんだろうけど、あまりに短絡的です。じゃあ、天ぷら屋は全員女なのかい。だいたい、食べ始めるころには冷めてて、上手いも下手も分かりませんが。


家父長制における席の規則性

親族が次々と到着すると、正月の挨拶を交わし、決められた席に座ります。上座にはホストの家族の男、すなわち「家長」がいます。そう、まさしく「家長」という言葉が相応しい。そこから、「男尊女卑」と「年功序列」という二つの基準に従い、下座に向かってきれいに席次が決まります。

ここはどこ。平成2年?いや、昭和2年?あれ、今の元号なんだっけ。


プライベートに企業文化をひきずる二重構造

男たちは酒を注ぎ始め、「どうぞどうぞ」とお酌し合います。「一杯くらいどうぞ」と言われて勧められます。飲みたくないタイミング、飲みたくない場所、飲みたくない液体。家長から、乾杯の挨拶があります。苦笑いしかできないジョークが添えられています。

だから、ここはどこなの。会社か。会社の新年会だったか。もうビールサーバーでも置いとけばいいのに。
家族の集まりは、上下関係がなく、肩の力を抜けるホッとできる場であると思います。しかし、会社の飲み会のような接待文化とアルコールハラスメントが起きています。にもかかわらず、「会社じゃないんだから大目に見てくれ」と、そういった言動や習慣は容認されがちです。


「お前は交際相手いるのか」「賞味期限ギリギリ」

家長から未婚の親戚に放たれる言葉。

「お前」「コイツ」呼ばわりして、酒の力に任せてプライベートな質問で絡まれます。お前呼ばわりされるほど親しい距離ではないし、私の心はブラジルをお散歩中です。
人間にも賞味期限という言葉を使えるんですね。知りませんでした。


「まだその酒飲んでるんだよ!!」

下座の女性たちが立ち上がり片付けを始めます。食器を下げ、洗い物をして、コーヒーを煎れています。酒ビンを下げようとした妻に声を荒げる家長の一言です。

では、その重い腰を家長席から持ち上げ、その軽い空きビンをお宅の台所に歩いて持って行ってみてはいかがか。もし、手と足があるのであれば。


「自分たちはよく分からないし、もうすぐ死ぬからさ」

「ちょっとその言動はおかしいですよ」と分かりやすく伝えてみると、おじい様たちから返ってくる必殺の一言。棒読みの相槌や感じの悪い半笑いなどのコマンドが追加されている場合もあります。

あ、そう。もうすぐ死んじゃうかー。じゃあ、もういっそのこと...おっと失礼。
自分の考え方とは異なる考え方があり、少し柔軟に見つめ直してみる必要があることが分かりながら、その選択をしないと決めている。「分かっているのに、変えられない」というのは少し哀れにも見えます。


「そういう人とうまく付き合っていくことも大事だよ」

ここまで書いたような言動に異を唱えた時に、理解してくれると思っていた30代、40代の親族から放たれる破壊力抜群の一言。結婚や出産を経験していない若者に対して、その経験不足を諭しながら教示されます。「上手な人付き合い」「大人になろう」「会社でもそういう人いるから」と言った言葉がセットになることもあります。心が折れかけます。

まず、一つ。ここは会社ではありません。二つ、どんな場面であろうと、差別的な言動は差別的言動です。そして、三つ。「成熟する」とは、尊厳を傷つけられながらニコニコ笑って放置することではなく、多様性を認めつつ考え方が異なる相手とも議論・対話することだと思います。

おそらく、黒人への差別・暴力や、女性への差別・暴力は、「そういう人とも波風立てず付き合おう」「そんなに騒いでも仕方ない」と考えるサイレントマジョリティーによって構造的に強化されてきた部分もあるのだと思います。

リンチに遭った黒人を目の前にして、「社会はそういうものだから我慢するのも大事だよ」と言うべきなんでしょうか。
性暴力(同意のない性行為や口淫や痴漢など)の被害に遭った自分の家族に、「そんなに騒いでも仕方ないよ」と言うべきなんでしょうか。

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家族やジェンダーについては、様々な価値観や考え方があります。
「人それぞれ、いろいろな考え方があるからなあ」と思います。
しかし、それは、「どんな考え方や言動でも受け入れられるべき」ということではないと思います。

「その言動は、私の考え方とは違うし、受け入れるのが難しい」と表明すること、そして議論することは、とても勇気のいることだなあと痛感する2020の正月です。