失われた自分を求めて

元公務員/元フリーター/元ニート/アラサー/思いは言葉に

映画『プリズン・サークル』~刑務所で自身と向き合い抱えようとする人々

この3日間、ずっと熱があります。38度にいかないくらい。たっぷり寝ても治らず。
身体のだるさとともに、だらだら書きます。アラサトです。

体調不良を押して『プリズン・サークル』という映画を見に行きました。「島根あさひ社会復帰促進センター」という刑務所内の様子と、そこにいる4人の人(受刑者)を中心に描いたドキュメンタリー映画です。

 

prison-circle.com

 

島根あさひ社会復帰促進センター(長いので、センターとします)は、国(法務省)と民間が協働で運営する珍しい形の刑務所です。センターでは、TC(Therapeutic community:治療共同体)というアプローチに基づくプログラムが実施されています。椅子を円形に並べて、そこで受刑者同士が対話しながら、自らのしたことを振り返ったり、見つめ直したりする場面が頻繁に登場します。『プリズン・サークル』は、「円になって対話する」ところに由来していると思います。

ぼくは保護観察所というところで働いていた経験があります。
保護観察所は、罪を犯した人や非行少年に対して社会の中で指導・支援をする役所です。たとえば、刑務所から仮釈放(刑期より少し早く出所すること)となった人々は、保護観察所に定期的に生活のことを報告したり、プログラムを受けることになります。


映画を観ていたら、保護観察官の頃のことを思い出したので、言葉にしてみようと思います。

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登場する4人の男性は、全員20代。けっこう若い。非行歴や4号歴もあるのかなあなんて考える。詐欺、強盗、傷害致死などさまざま。一人ずつ、TCプログラムでの発言、個別のインタビューから描き出されていく。本人の語りで、子ども時代も回想される。4人全員が、親や周りの大人から傷つけられた記憶を持っていた。どうして、こんなに鮮明に覚えているのだろう、と思うほどに。

「虐待されたからこうなった、みたいに思われるのは嫌だ」
そんな発言があった。わかる。ぼくたち大人はすぐそこを結び付けたくなる。保護観察官の中にもそういう人はけっこういた。アセスメントとか言って、偉そうに人の人生を決めつける人。何様なんだろう。でも、自分にもそういうケがあるなあとも思う。

円になって話すTCプログラムを見ていると、専門家であるファシリテーターがとても上手。説教したり、指導したりするシーンはない。一人ひとりと対等に向き合う。本人が考えることを尊重し、発言を促し、言葉を補足する。「応答」や「ケア」と呼んでもいいかもしれない。それは、「番号で呼び、一方的に指示する刑務官」の姿と鋭く対比されている。

そういえば、刑務所研修に行ったことがあった。昔ながらの刑務所だった。懲罰委員会を見学し、刑務所の幹部職員が違反のあった受刑者を指導する(実際は大声の恫喝)風景も思い出す。あれは、「応答」ではなく「支配」の関係だったと思う。

TCプログラムでのやりとりを見ていると、参加者の知的能力が決して低くないことがわかる。安全で落ち着いた環境であれば、人は思考を深め、他者に表現することができる。登場する4人の青年は、とても積極的に考え、発言している。そして、他の参加者が質問したり応答したりすることでさらに深まっていく。グループでの対話がプラスに働いている。

自分について考え、言葉にするというのは初めての体験なのかもしれない。今の自分はどこからやってきたのか。自分はなぜ傷つけられたのか。自分はなぜ傷つけてしまったのか。この自分をどうやって抱えていけばよいのか。そう簡単に答えは見つからない。

映画後半、ロールプレイのグループワークが映し出される。叔父の家に侵入し強盗傷人を起こした健太郎(仮名)。被害者である叔父、叔母、健太郎の彼女を他の受刑者が演じる。叔父役は、厳しい質問を投げかけ続ける。
「どうしてうちだったのか」
「これまでうちに来ていた時も、頭の中では強盗に入ることを考えていたのか」
「あなたのせいで、親族の人を信じられなくなってしまった」
「あなたにとって償いとはなんですか」

質問に丁寧に答えながらも、ついに涙が堪えられずうずくまりそうになる健太郎。そこでロールプレイは終わるのかと思った。

「その涙はなんの涙なんですか」

叔父役はさらに続けた。
ぼくは見入った。目が離せなかった。被害者と加害者が向き合っているのかと錯覚した。ワークの最後には、叔父や叔母を演じた受刑者も涙を浮かべていた。

映画のラストで、4人のうちの一人が仮釈放される。たしか拓也(仮名)。顔のモザイクが取れている。白黒だった世界から鮮やかな色のある世界へ変貌していく描写が映し出される。20年以上ずっと色のない世界を生きていたのかもしれない。仮釈放された拓也が向かうのは、保護観察所だろうかと考える。

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ぼくは保護観察官として、一人ひとりに対等に丁寧に向き合ってきました。必ずしもうまくいくわけではなかったけど、再犯しないように、または、再犯までの期間が一日でも延びるように働きかけをしました。でも、本当は、もっと深く、もっと近くで、関わりたかった。その人が一人で抱えきれないならば、一緒に抱え続けたかった。そういう関わり合いが、償いや立ち直りには必要だと思うからです。

仕事と住居があれば再犯しない。
それは少し安易な考えではないでしょうか。