失われた自分を求めて

元公務員/元フリーター/元ニート/アラサー/思いは言葉に

ある官僚の転職奮闘記~退職決意編~

師走ですね。今年は半分しか働いてないなー。アラサトです。


実は、ニート生活が少しずつ終わりを迎えています。
今回から、またまたシリーズものです。
アラサーで元官僚というスーパーミラクルエリートおにいさん(おっさんじゃないんだぞ)がどうやって転職というイベントを戦ったのか。ガチ3、ゆるふわ7でお届けしていきます。


シリーズ第一弾は、国家公務員退職を決意するまでの経緯。


直接的な原因は、必要性や重要性の高くないことを非効率的にやっていること
その結果、忙しすぎて人間らしい生活を送れなくなる。外務省の友人が「自分たちがやっているのは『仕事』ではなく『作業』だ」と言っていました。言い得て妙。どんな組織でも、保守業務というか、つまらない作業はあります。「仕事を生み出すための仕事」みたいなものもあります。そういう必要性の低い作業が全体の7割を超え、かつ、帰宅が23時~0時になる。


すると、「この生き方でいいのか」「自分はこれで幸せなのか」を考えるようになります。


考えるうちに、もっと根本的に、劣化していることへの恐怖があると気づきました。
ぼくは、さまざまな経験の中で、前提にとらわれない思考力、多角的な視点、主体的な行動力などを叩き込まれてきました。しかし、組織の中で一定の行動様式や慣習が刷り込まれていくうちに、自分が身に付けてきたものが失われつつあることに気づきました。そう、失われた自分。入省してから少しずつ大きくなっていくモヤモヤした感じ。その正体は、劣化している自分への恐怖だったわけです。


ただ、これは自分の“油断”が原因でもあります。
組織の中で働き始めたら、なぜか自分の将来像を真剣に考えなくなっていたのです。1年後、3年後、5年後どうなりたいか全く考えなくなっていました。なんて愚か。だから、これからは、組織に能力開発は一切期待しない。自分に必要な力を考え、それを身に付けられるように地道に行動することを改めて決意しました。


やりたいことは、仕組みづくり、政策立案です。
社会の課題を分析して、解決策を議論し、実践する。実践したものを検証して、必要があれば修正し、よりよい解決策につながえる。これが、ぼくが考える政策立案です。
でも実際は、現状ありきで施策(予算)の維持と増設を図ることばかり。この事業は止めるべきではないか、本当に増やすべきは事業ではなく専門性のある人材ではないか、毎年の啓発ポスターは不要ではないか、就労支援に関するパンフレットが4種類あるのは無駄遣いではないか。

いや、アラサト君、昨年もやってるからさ

あっそ。申し訳ないけど、そういう前例踏襲の事なかれ主義には納得いかない。せめて、加担はしたくない。


この硬直的な行政組織を変えていくべきなのではないか
この点は最後まで葛藤しました。今は耐え忍び、課長補佐や課長、その上の幹部職員となれば変えられるのではないか。

うーん、限りなく不可能に近い

目の前の上司は日々の業務に忙殺されている。組織のマネジメントを考える能力も時間もない。局長になろうが事務次官になろうが、国会に呼ばれて、意味のないググれば質問にヘーコラしながら答える。組織改革をしようと思えば、より残業して働かなければならず、それが評価されて給料があがるわけでもない。組織が変わるのは30年後、50年後、100年後か。自分の人生を賭して取り組むべきことなんだろうか...


悩み。葛藤。悔しさ。不安。憔悴。


省庁で働いている人には、共感してもらえる部分もあるんじゃないかと思います。
公務員を安定したラクな仕事だと思っている人には、こうやっていろんな思いが渦巻いている人もいることを知ってもらえればと思います。


あれ、ガチ100%になってるじゃん。ゆるふわ要素をいれねば。
ぱふぱふぱふーーーん
ふんふんふーーーん
わっほっほーーーい

次回もお楽しみにネ★


 

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