アラサーですがナニか

アラサー男がちょっとだけ語る

働く大人のマナー

最近イライラが止まらないよ!止まらないよおおお
激おこぷんぷん・アラサトです。
もう決めた、今日はなりふり構わず言うよ。


あのね、働く社会人がね、自分の部署の業務について問い合わせを受けて
わかりません。。。
って答えるんじゃないよっ!!
わからないから何なの?どうするの?

それね、
○○さんお茶ないんだけど。
と一緒よ。そーゆーダメ男多いよね。職場でも家庭でも。
お茶がないからなに?静岡行って茶葉でも摘んできましょうか?
違うでしょ。
まずね、大前提として、自分でやれよ。そして百歩譲っても
○○さん、忙しいところ申し訳ないけどお茶いれて頂ける?
でしょ。

さっきの話もね。
わかりません。。。。。
いや、ナニ、黙祷でも始めたの?祈ってれば、突然神様が答えを与えてくださるの?
違うでしょ。
誰だってわからないことはある。完璧じゃないんだから。それはいいの。
わからなくて当然、自分には関係ない って思っちゃいかんってこと。
申し訳ありません、調べてすぐに折り返しご連絡します
担当者に確認して○時までにはご返答します

でしょ!
そんなに難しくないでしょ!!
お役所みたいな対応は止めんしゃい!
自分が責任もって対応する意識を持ちんしゃい!!
大人なんだから!!!


あまりに無責任な大人が多くて、驚きの連続です。


たった4%

すっかり春めいてきましたね。ああ、春だなあ。
いいですよね、桜、入学、出会いと別れ、春夫と春子。
町は浮き足立ってますよね。まあいいじゃないですか。だって春だもの。
春の訪れにしっとりしているアラサトです。


ダークマターって知ってます?
宇宙的にある「未知の物質」のことらしいのですが。
このダークマター的なサムシングが宇宙の大半を占めているんですって。

wikipediaによれば、
宇宙全体の物質エネルギーのうち、74%が暗黒エネルギー、22%が暗黒物質で、人類が見知ることが出来る物質の大半を占めていると思われる水素やヘリウムは4%ぐらいでしかない
らしいのです。

ぼくは、元素とか素粒子とか量子なんちゃら学とか、ホントちんぷんかんぷんなんです。興味はあるんですけどね、ホントwikipediaさんすごいなあってレベル。
でもですね、解明されているのは「たったの4%」というところに妙にしっくりくるというか、共感しています。

ぼくが知ってるつもりになっていることなんて、たった4%の世界の中でのこと。
ぼくがどうにかできるものなんて、たった4%の世界の中でのこと。
残りの大半は、自分にはわからないし、どうしようもないんだなー。

ぼくはこれまで、貧困とか薬物依存とか、そういうことを勉強してきたんです。今もそういう「諸般の事情」を抱えてしまった人たちと接する仕事をしてます。少しでも生活がいい方向に向かえばいいなあと思いながら、あれやこれや言ったりやったりするんですけどね。
これが、ぜんっっっぜんっ思い通りにいかないわけよ!!これが!!
ふふふ てへぺろ(●´ω`●)

こんなふうに情緒不安定になってしまうくらいに、思い通りにいかないわけです。
でも、それもそのはず。
だってぼくがどうにかできることなんて、たった4%だからネ!


そんな具合に、ダークマターの話は、ぼくの日常につながってるというか、しっくりはまっているんです。
ほんでもって、たった4%だからまあできることをやるしかないよね、となんだか勇気づけられています。

なかなかいい感じでまとまったところで今日はおしまいです。
夕飯を食べますのでこれにて失敬。


とある少年の言葉

アラサトです。
非行少年や犯罪者の立ち直りを手助けする仕事をしています。
ちょっとかっこよくいいましたが、まー、振り回されるのが仕事です。


「なんか近所で暴走してる人たちうるさいんすよ」
とある非行少年の言葉。
いや、おまえちょっと前まで他人様のバイクで暴走してたじゃん。
 
半年前は金髪だったのが黒くなり、なにやら精悍な顔つき。
いや、誰、このイケメン?笑
半年前の不良少年はどこに行ったのさ。

ぼくのあずかり知らないところで勝手に変わりやがって。
人が変わるきっかけというのは、ホントに不思議です。


「手に入らなかったもの」の話

突然ですが、アラサトです。
今さっき見たドラマにピンとくるセリフがありました。

“人は、手に入ったものじゃなくて手に入らなかったものでできているんだもんね”

 
『anone』というドラマの2話、田中裕子演じる亜乃音さんが発した言葉です。
すんごい雰囲気を醸している田中裕子が言うからこそ、という感じはあるんですが。
いやー、うん、なんというかそういうもんだよねえと。

失ったもの、できなかったもの、みんなはあるのに自分はもってないもの。
そういうものにばかり目が向いてしまって、今の自分にあるものが見えない。まるで最初から当然あったように考えてしまう。

恋愛でもそう。
付き合い始めみたいにキュンキュンしてない。
電話がない。デートもない。話を聞いてくれない。
自分ばっかりなんで…

そういうもんなんでしょうね。
ほれ、ちょっと見てみ、キミけっこういいもん持ってるよ、って周りが必死で言っても聞いてないんだよね。ほぼ聞いてないのよ。で、その「手に入っていたもの」がなくなった時に気づく。ああ、自分はけっこういいもん手に入っていたんだなって。


なんだか感傷的なムードになりそうだから、パーっと鼻くそでもほじろうかしら。あ、ぼくの特技は鼻くそをほじることなんですよ実は。

『anone』というドラマけっこう面白いです。坂元裕二脚本、阿部サダヲ、小林聡美、田中裕子などが出演していて見ごたえありです。視聴率低いみたいなんで、きっと面白いですよ!


コンプレックス万歳

あけましておめでとうございます。アラサーのアラサトです。
いやーあけちゃいましたね。さようなら2017年。いらっしゃい2018年。
アラサトもいよいよ本格的にアラサーに突入して参ります。いえーい。

昨年はといえば、、、
特に明確なテーマもないこのブログを迷走させ、
月1回更新を掲げておきながらたった4回で終わり、
ただでさえ少ない読者の皆さんを混乱と混沌へ誘きまくってしまいました。
まずもってお詫びを申し上げます。ごめんちゃい(*´艸`*)

今年こそは月1更新!!特にブログのテーマは決まってないけど、もういいの。ともかく月1書く。何かを書く。そこは絶対譲りませんから!


さて、新年一発目ですが、昨年のアラサトを振り返ると、仕事だけでなくプライベートでもいろいろと苦しんでいる人に会いました。生きづらさを感じる人や、そこから立ち上がる人などなど。そこで、現代人の抱える闇に切り込もうと思います。


①痛みに鈍感
仕事でも、恋愛でも、自分がいけないんだから変わらなければ!と邁進してしまう。多少体調不良を感じても周りに休んでいる人がおらず、立ち止まることができない。認めてもらうまで、褒めてもらうまで、ひたすら走り続ける。そのうち、身体が動かなくなり、心がぐしゃぐしゃになっている。
要は、自分を大事にできないことです。仕事に限らず、恋愛や、友人関係でも、尽くしてしまいがち。自分の痛みを理解し、敏感になることはとても大事です。周りの目や評価は二の次三の次でよし。

②勉強が好き
難しい本を読み、難しい言葉でしか物事を理解しようとしない。理論武装し、相手を論破する。そうやってなんとかかんとか自分の存在を守っていける。
博学や物知りがよいという風潮がありますが、クソくらえです (´・ω・`)
知識が増えれば増えるほど、縛られることも増えているような気がするんですよね。人の言葉に耳を傾けられなくなり、視野が狭まってしまう。いつの日か、周りの人たちは「コイツに何か言ってもムダだな」と思うようになり、誰も正直に向き合ってくれなくなります。

③相談できない
誰かに相談しても解決策が見つかるわけじゃないから話さない。弱音や愚痴もみっともないから言わない。プライドが高いから自分の弱みを知られたくない。結局、人に頼れず、孤立して、追い込まれてしまう。
相談や愚痴の目的は、解決策を見つけることではなく、整理することです。言葉にして話すこと自体に意味があるわけです。自分の状況を受け入れ、整理し、対処するために必要なプロセスです。
かくいうアラサトも、実は、相談するのが苦手なんですよねー。相談したり、愚痴ったりは相手を見極めて信頼できる人にしかできません。もっと曝け出していきたいなあ。


こーゆー特徴の背景にはだいたい、
自信の低さ
自己肯定感の低さ
承認欲求の高さ
が見え隠れしています。まあ、みんな、多かれ少なかれ自分自身への不満とかコンプレックスを持ってるわけでして。それを周りからの評価や知識の多さで埋めようとしている限り、苦しみからは抜け出せないですね。なぜなら、自分より秀でた人は溢れるほどいるから。

ほいじゃあどうすんのよって話ですが、
あきらめること受け入れることが大事かなと思います。
コンプレックスもあるけど、それはそれとしてやっていこう。あきらめよう。どうせ誰も気にしちゃいないんだからなんでもいいじゃん。みたいなかんじ。
思い切ってあきらめて受け入れられると人生が幾分ラクになります。自分の弱みを人に言えるようになり、そしたらなぜか相談されることが増え、いつしか信頼できる友人が増えます。

全員がそうやってうまくいくわけじゃないと思いますが、アラサトは自分の出っ歯も、根暗なかんじも、人の欠点発見選手権1位なところも、爆笑しながらお付き合いしています。アラサーにもなると、自分のコンプレックスに快感すら覚えるんでしょうかね(笑)


セクシーハッピーニューイヤー
アンド
セクシーセンキュー


偏見のない人なんていない

バリキャリの女の人って、仕事もメイクもバッチリで話しかけにくいけど、話してみると話し方ローラみたいだったり、彼氏の前ではデレデレだったり、意外とカワイイじゃない。どーも、アラサーのアラサトです。


告白します。
ぼくは、人を見かけで判断します。偏見すんごいです。
一人っ子で実家暮らしのB型女子は、とっても面倒くさいと思っています。
「偏見のない社会を」という純粋無垢なキャッチフレーズを聞くと、いやそんな社会はないのよん、と切り捨てています。

大事なのは、偏見をなくすことではなく、自分の偏見を自覚すること。

これが今日言いたいことです。もう満足(*´∀`*)


Wikipediaによれば、「偏見とは十分な根拠もなしに他人を悪く考えること」だそうで。「悪く考える」ってとこは微妙ですが、「十分な根拠なく他人を○○な人と考えること」は誰にでもあると思います。この人って一人っ子ぽいなあとか、コイツ太ってるからわがままそうとかね。

偏見からは逃げられない。
外見や属性でついその人を判断してしまう時が自分にはある。

そういう冷徹な自己評価が、偏見と向き合う第一歩だと思います。
そんな前提の上で、ぼくが密かに実践している偏見との付き合い方をいくつか発表してみます。


無知でいる
そもそも知らなければ偏見は持てないわけです。たとえば、ぼくら日本人が東大生と聞けば、優秀だとか眼鏡かけているとか、いろいろ思い浮かびますね。でも、アメリカの田舎のおっさんが東大生と聞いても、なーんも思い付かないわけです。知らないから。博学・物知りが昨今もてはやされていますが、知識に縛られる危険性もあるわけで。あえて知らないでいること、はけっこう重要だと思います。

会って話す
とはいっても、全てに無知でいることは無理です。同性愛は異常とか、犯罪者は怖い、とかそういう考えは「当たり前」として小さい頃から刷り込まれているもの(幸運にもそうじゃない人もいると思いますよ!)。そんな時は、会って自分の目で確認してみるという作業が大事です。会って話せばわかり合えるとかそーゆー話じゃないですよ。会って話すと、自分が「当たり前」と思っていたことが音を立てて崩れることあるってこと。同性でも愛し合えるんだとか、犯罪者の人も自分と似た部分があるんだとか。

修正する
自分が偏見を持ってしまうことを受け入れます。すると、自分の考えは状況によっては修正されるんだ、という意識が芽生えてきます。ぼくは、出会った瞬間に、その人がどんな性格で何を考えているのかを判断します。なかなかいい趣味でしょ(笑) でも、これはただのクイズで、しかも外れた時がおもしろい。アハ体験。なぬ、そうきたかーーーという喜び。そして、自分の偏見を修正するわけです。いわば、偏見を持ってしまう自分自身を楽しむ、というやや変態チックな営みです。


偏見と闘うために必要なのは、知識や理解ではない。
自分が「当たり前」だと思っていたこと(≒偏見)が実は当たり前じゃないんだ、という発見・転換。これを一度でも経験しているかどうかが、「偏見を持つ自分」と向き合えるかを左右するのだと思います。

そんなかんじで、アラサトは、今後も偏見まみれの自分と付き合っていこうと思います(* ´ω`*)


※偶然、関連した記事を見つけましたので、ぜひご一読を。

www.bbc.com

なぜ友達を減らす努力をしないのか

前回の投稿からこの投稿までの間で1歳老けました。アラサトです。


1ヶ月くらい前に、「タモリがうまく生きている理由」みたいな題名の記事を読みました。タモリさんは、ともだち100人できるかな♪って歌が嫌いで、今どんどん友達減らしていってる、と書いてありました。大賛成、大共感なわけです。

友達は多い方がいい。増やさなければいけない。
知らないうちにそんな感覚を持っていませんか?

ぼくの場合、20歳頃にfacebookを始めて、自分の「友達」が増えていくようになって、「もっと増やしたい」みたいに無意識に考えるようになりました。ちょっと話したくらいの人でもfacebookでつながって、どんどん「友達」の輪を広げていった。誕生日になると、40人、50人という人がお祝いのメッセージをくれた。これまでは家族くらいしか祝ってくれなかったのにね。あるあるですね。

このお祝いメッセージに「お祝いありがとう!」と爽やかにお返事するのがマナーだけど、まず、これが面倒になったわけです。これまた、あるあるでしょう。そこで昨年、誕生日を非表示にする、という機能を活用して、誰にも知られないようにしてみました。そのかいあって、先日の誕生日では、見事お祝いメッセージゼロを達成。思った以上に清々しました。

持つべきものは友とか、人脈は大事とかいうけど、それは数ではなく、その人と信頼関係を結べているかってとこが大切なんだろうと思います。当たり障りのないことしか言い合わないような「友達」は、そのへんの通行人とほぼ同じ。

友達は増やすものではなく、減らすもの。必要以上に友達をつくらない。そういう「友達数最適化プロジェクト」に取り組んでいくことで、なんだか解放されるし、人との付き合い方もいろいろ変わると思います。

今日はこのへんで。さーて、どの「友達」からやめていこうかなあ