失われた自分を求めて

元公務員/元フリーター/元ニート/アラサー/思いは言葉に

映画『すばらしき世界』が問う、元犯罪者を取り巻く社会

「シャブを打ったみたいだ」
そう言って商店街を駆け抜ける姿を見て、泣いてしまった。

映画『すばらしき世界』を見て、久しぶりに涙が出たので、書いてみます。

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役所広司演じる三上が旭川刑務所から満期釈放されるところから始まり、元受刑者・ハンシャというレッテルから様々な苦難を経験しながら、人と関わりの中で生きていく姿が丁寧に描かれている。

苦難という一言では言い足りないくらい、本当にいろいろある。役所の保護課で生活保護を申請しようとすると、ケースワーカーから生活歴をたずねられ、「ハンシャの人には保護はおりない」と言われる。運転免許の更新を申請しようとすれば、「失効から3年過ぎているから一から取り直し」と言われる。スーパーで買い物したら店長から「支払いがまだのものがあるよね」と万引きを疑われる。彼らも悪気があるわけではなく、それぞれが与えられた役割を果たそうとしているだけ。でも、そういった一つひとつで、社会の「つまはじき」ということを再確認させられる。


そんななかでも三上は懸命に前に進もうとする。でも、免許の試験はうまくいかない。体調もすぐれない。周りの人間は結局自分を理解していない。心がざわつくなかで、昔のヤクザ時代の兄貴分の電話番号を手に取る。福岡の兄貴分を頼って身を寄せてしまう。やはりカタギではなく、ヤクザの世界しかないのか。そんななかで、兄貴分の妻(キムラ緑子)の言葉がなんとも深い。

「シャバは我慢の連続。それなのに楽しいことは少ない。でも空は広いって言いますよ」

耳に残る言い回し。

三上が困難を乗り越える時に必要なのは、ちょっとした手助けなのである。ケースワーカーは「ちょっと視点を変えてみました」と言って、介護施設の仕事を三上に勧める。すると、真面目な性格が評価されたのか採用される。採用されたことスーパーの店長に伝えるとおめでとうと言ってくれる。身元引受人の弁護士も運転免許教習の費用を貸してくれる。

「シャブを打ったみたいだ」

それは、仕事が決まって商店街を笑顔で駆ける三上の言葉。その喜びは、ほんのちょっとした周りの手助けと本人の行動からでてきたもの。人が変わる瞬間を目の当たりにしたようなかんじで、胸が締め付けられた。

物語終盤、三上が働いている介護施設の職員が、障害者や前科者を笑いながらバカにするようなシーンがある。三上にとってそういった理不尽は看過できない。かつての三上であれば、目の前のはさみを手に取って切りつけていたのだろうが、ぐっと堪えて「そうですね」と言って一緒に笑うのである。

感情をコントロールし何事もなくやり過ごせた。進歩に見える。でも、それは「更生」ということなのだろうか。三上の持つ、心根の優しさや、理不尽に対する怒りのようなものを押し殺せるようになることが、本当に立ち直りと言えるのか。

犯罪とか、更生とかよりも、もっと根源的なものを問われているような感じだった。


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丁寧な映画だなと思いました。いろんな人がちょっとずつ、自分の事情を抱えながら、人に関わっている。ちょっとした一言が傷つけたり、ちょっとした手助けで道が開けたり。ぼくが保護観察官として犯罪者や非行少年と呼ばれる人たちに関わっていた時も、同じでした。いろんな人に関わってもらって、ホントに一筋縄ではいかなくて、山あり谷あり。

刑務所出所者のうち、満期出所者は約4割・8,000人(2019年)います。映画でも触れられていましたが、満期出所者の5割弱が5年以内に再び刑務所に入所しているというデータもあります(コチラ)。「回転ドア」と呼ばれる状況です。

刑務所を出る時には仮釈放と満期出所があります。仮釈放は、刑期の終了日(満期)より早く出所して、社会で保護観察を受けながら生活を調えていく。政策的にもなるべく仮釈放を出そうという流れになっています。今回の三上さんのような満期の場合、保護観察所は関わることができません。なぜなら、刑期を終えていて、公権力の行使を受ける根拠がないから。本人が望めば、「更生緊急保護」という仕組みで住居や就労の支援を行うこともできます。ただ、原則として、刑期を満了すれば完全な自由なので、保護観察所の指導や支援を受けなくてよい。

「そんなの自己責任だから放っておけばいい」という意見もあるでしょう。たしかに、満期出所者の中には自ら望んで満期で出所した人もいるかもしれません。でも、だからと言って、誠実に前に進もうとする人の後押しをしない理由にはなりません。

「もっと積極的に支援すべき」という意見もあります。それならば仕組みを考える必要があります。支援が必要な満期出所者を、確実に支援機関につなげるような仕組みが必要です。刑務所や保護観察所は、誰にでも、いつまでも関われる機関ではありません。だから、刑務所にいる早い時期からソーシャルワーカーを巻き込んで、出所後は自治体も巻き込んだ継続的なかかわりが必要になります。

ちょっと現実世界の話をしすぎてしまいました。
印象的な言い回しと、俳優たちの表現に揺さぶられる映画でした。


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森会長発言を「時代錯誤のオジサン」と批判することへの違和感

お久しぶりです。アラサトです。
コロナになってすっかり社会の様子も変わりましたが、ジェンダーにまつわることは変わってませんねえ。

今日は2月3日の森会長の
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
「組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます」
などの発言とそれに対する一連の反応や批判について、勇気をもって掘り下げてみようと思います。


到底理解できない&まあそうだろうな

発言を聞いたときのぼくの最初の感想はこの二つです。まずは、わけの分からんこと言ってんな。会議の時間とジェンダーバランスは関係ない。そもそも、理事会で話し合うことが仕事でしょ。「わきまえる」もどういう目線で言ってんのか、と。

同時に、ぶっちゃけ、まあ森さんならそんなこと言っちゃうだろうなと。首相の時もおかしなこと言ってたし、直接話したことはないけど、物のとらえ方とか、言葉の使い方とか自分とは違うだろうなと思ってました。そういう意味では今更そこまでの驚きはありませんでした。

さらに言えば、社会の中にも同じように思っている人いるんだろうなとも思いました。経団連の会長も「日本社会にはそういう本音が正直あるような気もしますし、こういうのをわっと取り上げるSNSっていうのは恐ろしいですね。炎上しますから」と笑いながら述べていました。
(その後「女性と男性を分けて考える習性が強いが、日本は色々な意味でマイノリティーへの配慮はまだまだ課題がある」という趣旨だと釈明していましたが)
つまり、「いやいや、森さん、本音でそう思っていても言葉にしちゃマズイですよ」と思っている人はそれなりにいるんじゃないかと思うわけです。

だからこそ、悲しいけれど、「まあそうだろうな」と思ったわけです。


再発防止を求める批判と、時代錯誤のオジサン批判という二つのベクトル

改めてはっきり言いますが、ぼくは今回の発言には全く賛同できません。NOです。組織委員会やJOCの対応が遅いことや、一部の政治家が「謝罪し撤回したんで」と言っているのも違和感をもちます。撤回すりゃいいって話じゃない。問題は、本音を言葉にしてしまったことではない。その本音自体の是非が問われているのだから。

最初は「辞任だな」と思っていましたが、そのうち「うーん辞任して、それで何かよくなるのか」という気もしてきまして。そこで、署名運動をニュースで見ます。「処遇の検討と再発防止を求めます」という表現にはけっこう共感しました。これまでは、こういった時に個人の責任を追及し終わりにする「排除型」の運動が多かった気がします。でも、今回の署名運動には、より広く、組織に対して、社会に対して話し合い行動をしていきましょうという未来を向いた「課題解決型」の動きを感じました。

一方で「こういう時代錯誤のオジサンは日本企業にいっぱいいる」的な記事も目にしました。おっしゃりたいことは分かりますよ。ただ、女性差別をする人=中高年の男性=「時代錯誤のオジサン」というようなレッテル貼りには、森さんの発言と同じくらい違和感を持つわけです。もっと言うと、「時代錯誤のオジサン」という批判は、男性と女性の溝を深めることになってしまう気がします。「女性はこれだから」→「オジサンはだから時代遅れでダメ」→「また女がうるさい」→「男ってホント分かってない」という非生産的ループが見えます。


ではどうしたらよいのか

こういった差別的な発言を批判するときは、ちゃんとNOという。しかし、感情的にならず、レッテル貼りもしない。「あの世代の男性はみんなそう」は差別を再生産するだけで、改善には非生産的。むしろ、発言内容について議論したいですね。森さんはどうしてそのように感じているのか、森さんが生きたのはどのような時代だったのか、市民はどのような違和感・不快感を持っているのか。

そんなの現実的じゃないよと思うかもしれませんが。
でもね、もし仮に中高年の男性に女性に対する偏った見方が多いとして、その男性たちを「時代錯誤のオジサン」呼ばわりして物事がよくなるとは思えないのです。もし自分が言われたら気分も悪いし。

上記の署名運動のような、毅然とNOと表明しつつ、男女関係なく一緒に考えてみましょうよという包摂的な(包み込むような)アプローチを続けていくしかないんだろうなと思いました。なんなら、森会長主催の「森さんとジェンダーを語る会」みたいなサブイベントをオリパラと並行して開催してもらって、アスリートや署名運動参加者と考えをぶつけ合うような時間をつくってもいい。徹底的に対話してもらって、そういうプロセスを社会に見せていくことも一つの責任の取り方ではないかと。

NOと言いつつ、包摂するって難しいですね。
少しモヤっとしますが、今日はここまでで。


 

arasato.hatenablog.com

 

私は異質な公務員だったのか~山田課長ではなく、山田さんと呼びたいだけ~

夜分遅くにアラサトです。
ふと気分が乗ったので久しぶりに思うまま書きます。

国家公務員を辞め、転職して早1年。省庁の様子を聞いていると、コロナになってもほとんど変わらない働き方、仕事の仕方。そんな環境で働く公務員の皆さんはすごいという気持ちもあります。

まあしかし、今思うと、そこで疑問を感じずに、または疑問を感じていても感じないフリをして、それまでのやり方を特に変えずにやり続ける、という環境の中で、ぼくは働けないなと思います。

なぜなら、ぼくは疑問は疑問に思いたいから。疑問を言葉にして対話し、変えていくことに価値を感じているから。
その「価値観」の持ち主は決して多くなかったし、そういう意味で自分は異質だったのかも、と先ほど落合陽一のNewsPicks動画を見ていて思いました。

このブログで何度か書きましたが、たとえば課長レベルに説明するために、いちいち秘書(的な人)に電話して予約。そして課長室の前で椅子に座って待つ大人たち。グーグルカレンダーでMTGセットしてオンラインでやれば?と思ってました。サラリーマンが、ほんのちょっと偉いサラリーマンに説明するだけなのに、神を召喚するかのごとき儀式的手続きはいるのか?

そういう日頃の手続きも含めて、今あるものを疑って変えていこうという人にはほとんど出会いませんでした。「優秀」は、与えられた問いに正しく答えられること、情報処理能力が高いことなどで、問いを立てること、多角的に議論できることなどではありませんでした。だからかな、窮屈だったし、つまんなかったです。思った通りだったけど(笑)

あと、小さいことだけど、「山田さん」じゃなくて「山田課長」と肩書きつけて呼ぶ風習。ぶっちゃけ、めちゃくちゃ気持ち悪かったです。国会議員を先生呼ばわりするのも。「○○議員」ならまだ分かりますが。アメリカのようにファーストネームで呼べとは言いません。でもね、「山田さんじゃなくて、山田課長ね」とわざわざ訂正する人とは、長くは一緒に仕事できないかもなーと思っちゃうのです。


幸い、今の職場はけっこう快適。役員ともフラットに話せるし、疑問や違和感は言葉にして発信できる。そして、「山田さん」は「山田さん」だし(笑)
もちろん、その中でもぼくは少し異質なのかもしれませんが、それは「異質性」ではなく「多様性」として受け容れられている感じがありますね。この「異質性」から「多様性」への転換が大事なのかもと、落合陽一のNewsPicks動画を見ていたらふと気づいたんでしょうね。ついつい、ブログで書いちゃいました(笑)

いつか省庁や行政がもつ、この「山田課長」文化を変えるお手伝いができればいいなとは思います。
じゃあ寝ます。おやすみなサンクトペテルブルク。

 

「転職してよかったか」への元公務員の答え

都知事選。ソーシャルディスタンス!の大波の勢いで、オンライン投票も解禁になるといいなあ。気乗りしない選挙ほど、投票に行くのが億劫になりそうな、非模範的市民のアラサトです。


最近、転職を考えている人と話すことがあり、「アラサトはなんで転職しようと思ったの?」とか「転職してよかった?」とか聞かれることもしばしば。
あ、もう1年経ったのか。あのときから。
と感慨にふけることもしばしば。

ということで、国家公務員を辞めてだいたい1年たった現在のアラサトが振り返ってみようと思います。


転職してよかったか
この質問。聞いている方は「よかった」という回答を期待し、聞かれた方も自分の選択が正しかったと思いたいので「よかった」と答えがちな、この質問。
実際は、職種・年齢・ライフイベントなど、その人の状況や見方によって、全く異なる結論になると思います。そんな大前提の中、得られたものと失ったものを書いてみます。


【転職で得られたもの】

  1. 健康で文化的な生活
  2. 無駄な作業や無駄な長時間労働からの解放
  3. 職員間のフラットな関係性
  4. IT設備などが整った業務環境
  5. 民間人という立場
  6. 自分のキャリアは自分で考えるという覚悟

これまで何度か霞が関の不思議な仕事文化を紹介してきましたが(コチラコチラ)、2~4はそれが解消された状態、その結果1が得られたという感じです。平均19時帰宅、どんなに遅くても21時前に帰宅。非効率的な作業激減。仕事用PCや携帯端末の貸与。コロナウイルスの影響でも問題なくテレワークができています。

5も大きいですね。公務員の時は、ネット上に自由に気軽に書くというのは、なんとなく避けていました。語弊を恐れずに言うことなどできませんでした。

6は内面的なもので、これも大きいです。毎月それなりの給料をもらい、それなりに面白い仕事をして、多少の違和感にはフタをして。そのうちに、自分のキャリアを誰かに預けそうになっていました。転職を通じて、改めて初心にかえり、自分の役割や向かいたいところを定めることができました。


【転職で失ったもの】

  1. 政策形成過程への距離感
  2. 給料?(時間当たりの給与はあがったっぽい)
  3. 肩書き?
  4. 「普通の人」感

なんだかんだ公的サービスの仕組みづくりは行政中心です。国家公務員という立場だからこそ関われる仕事も多くあります。そういう仕事に運よく巡り合えるかという問題はありますが。

給料はその人のポジションや転職先、肩書きはその人の考え方によって、判断が異なるでしょう。ぼくの場合は、幸運なことに給料は減りませんでした。肩書きも、元○○省となった今でも人によっては構えられてしまって嫌なだなあと思うくらいなので、むしろ肩の荷が下りてハッピーって感じ。

4は、「得られたもの」の6にも関わりますが、端的に言えば、「嫌なら新しい環境に行けばいいじゃん」を覚えてしまったということですかね。だいたいの人は我慢するわけですよ。その「だいたいの人」には当てはまらなくなり、周囲にも多少そう見られるということです。


転職できたのは運
今思えば、転職できたのは運も大きかったなーと思います。自分の幸せやキャリアについて、じっくり考える必要があると思い、転職先を決める前に辞めました。これはけっこう人に驚かれます(笑) この国では、転職先を決めてから辞めるのが一般的なようで。その後の面接でも「先に辞められたのはなぜですか」と何度か聞かれることもありました。

たしかに、少し準備不足だったとも思います。偶然そのタイミングに中途の採用枠があって、偶然職種や分野もそれなりに合致した内容だったので、今の職場に採用されましたが、けっこう運というか賭けのような状態だったかも、と。こんな感じで能天気に自分の転職活動を振り返れるのも、縁やタイミングに恵まれたからだとは痛感しています。


周りの環境は変わるということ
一つ、この1年間の経験から言えることがあります。待っていると環境は変わることがあるということです。関心のない分野に配属された、とか、反りの合わない上司や同僚がいるとか、いろんな理由で仕事に前向きになれない状況。でも、急な異動で部署が変わったり、上司が変わることもあります。実際、省庁にいた頃の部署は、人事異動を経て今ではかなり働きやすい環境になっている様子。ぼく自身も転職後、配属先の部署で苦労することがありましたが、人事異動があり環境が変わりました。

いじめと似ているかもしれません。まあ一生続くわけじゃないし、と環境が変わるのを待ってみるのも一つなんだと学びました。ただ、過労死するまで働くとか、うつになるほどしんどいといった状況は例外です!脱出ポットを使ってスポーンっと脱け出すべきです。健康第一。

転職で無理やり環境を変えても、自分の望む環境があるとは限りません。待っていれば望む環境がくるかもしれない。こないかもしれません。この判断こそ、実はめちゃムズなんです。。。


と、歯切れ悪く色々書いてしまいました。ぼくは、転職後の現状に満足しているし、充実感も得られていると思います。でも、これだっ!という結論は得られてなくて、経過観察中みたいなかんじです。

人生の決断は難しい。
「いい決断」かなんてすぐにはわかんなくて、だんだん「いい決断」になっていくのかもなーと。
はい、名言めいたことが出たのでおしまいです。
都知事選の結果を見てきますのでこのへんで。



今欲しいのは、一緒に考え続けてくれる「迷う人」

お久しぶりのアラサトです。
夜も更けて、身体も疲れて、そろそろ寝ようかなというタイミングでふっと書く気分になったので、手短に書いて寝ます。


「決める人」と「迷う人」
どちらを上司にしたいかと言われれば、多くの人が「決める人」「決断してくれる人」を求めると思う。決める政治とか、決断力、巧遅は拙速に如かず、など物事を素早く決められることは、社会の中で評価されている気がする。

一方、迷う人や迷う姿はあまり褒められない。優柔不断とか、スピード感がないなんて言われてしまうこともある。たしかに、いつまでも「うーん」と頭を抱えている上司や同僚といると「いや時間は無限にはありませんぜ」と思う。

まあ、ビジネスシーンと生活シーンは判断軸や価値観が違うけど、「迷うこと」はもっと認められてもいいのではないかと思う時がある。ここで言う「迷うこと」とは、「1+1は?」をうーんと考えることではない。答えがすぐには分からない問いや事柄について、慎重さや多角的な視点でじっくり考え続けること。


安心したいから答えが欲しい
Aさんが残忍な方法で人を殺害した。Aさんは普通の家庭に生まれ、大学に行き、企業に勤めていた。「なんであの人が」と言われる。よくよく調べると、学校や職場で酷いいじめにあってきた過去があった。「心の闇」のようなものがAさんを殺人に駆り立てたのでは、と理解したような気分になる。
本当にそうか分からないのに。

白人警官が黒人を殺害した。それは白人警官に黒人への差別感情があったからではないかと理解される。
その白人の脳内を知ることはできないのに。

とある新型のウイルスの感染者数が1桁になったからもう感染はしないと考える。逆に3桁になったらやばいと感じる。感染者の中に若者や特定の職業の者が多いと、若者のせい、夜の町が悪い、みたいになる。
一体何がどれくらい危険なのかということは忘れ去られていくような感覚がある。



迷い続ける体力
決断や判断を保留して、迷い続けることはとても体力のいることだなあと近頃よく感じる。政治家や経営者の決断も、完璧に仕上がった政府答弁も、メディアやネット上での評論や批判も、一見すると見栄えがいい、聞こえもいい。でも聞き飽きた。ぼくが欲しいのはそういうものではない。そういう自己満足的な、自分を安心させるための「決断」や「答え」を聞かされるのは少々うんざりしている。政府にも、メディアにも、友人にも、「答え」はあまり求めなくなっている。

仕事絡みのある人が「一緒に悩んでくれるようなメディアを見たい」と言っていた。同じだと思った。答えのわからないことを、一緒に考え続けてくれる体力のある人がもっと欲しい。答えがすぐには見つからない難題を、保留し、逡巡し、自分の中に滞留させておくことのできる人。そういう人ばかりでも困るけど、もう少しそういう人と出会いたい。

これはどういうことなのかさっぱりわかりませんねえ。
じゃあ一緒に考えてみましょうぜ。

そんなコミュニケーションをもっとしたいし、もっと聞きたい。